【代表インタビュー】制作職

制作職

中村和宏

取締役 制作担当/東京支社長

1993年新卒入社後、ドラマを中心に数多くの番組制作に携わる。2011年には東京オフィス(現・東京支社)を立ち上げ、支社長に就任。2021年、本社にてテレビ制作部長を務めた後、2023年に取締役へ。2024年4月公開の映画『あまろっく』では監督を務めた。

制作職

取締役制作担当 兼 東京支社長

中村和宏

1993年新卒入社後、ドラマを中心に数多くの番組制作に携わる。2011年には東京オフィス(現・東京支社)を立ち上げ、支社長に就任。2021年、本社にてテレビ制作部長を務めた後、2023年に取締役へ。2024年4月公開の映画『あまろっく』では監督を務めた。

INTERVIEWの見どころ

変化の激しい放送業界において、第一線で活躍するプロデューサーを育成し、人の心を打つコンテンツ制作に勤しむMBS企画。今回は、大阪・東京の制作部を統括する中村取締役に、近年変化してきているという組織体制や人材育成、そして「質のいいコンテンツ」へのこだわりについて伺いました。

「誰かの明日がちょっとだけ楽しくなる、そんなコンテンツを作りたい」

――幅広いジャンルで活躍される中村さんにとって、思わず見入ってしまう「コンテンツ」とは何でしょうか?

ジャンルはあまり関係ないかもしれません。バラエティでも、ドラマや映画でもドキュメンタリーでも。
結局は「その人らしさ」をどう描くかが大事だと思っています。派手な演出や展開もいいですが、見てくれる人の心に何かを残せないと作っている意味がないなと。ただ情報を並べるだけだとやっぱりすぐに見飽きられてしまいますよね。たとえば、映画『あまろっく』では登場人物のキャラクターを特に大切にしました。実際にはいないかもしれないけど、「尼崎だったらこんな人いそうだな」と思ってもらえるような。そんな人たちの自然なやり取りを丁寧に描くことを心がけました。映像も気負わずありのままの尼崎を撮った結果、ロケ地ツアーや市民上映会を開いていただけるなど地元の方々に楽しんでもらえる映画になったのは嬉しかったですね。
『情熱大陸』のような番組を担当するときは「明日からまた頑張るか」と、見てくれた人が少しでも感じてくれるかを意識しています。
これからも、誰かの明日がちょっとだけ楽しくなるような、そんな作品を作っていきたいです。

制作部門の体制とチームワーク

――制作部はどのような体制で動いているのでしょうか?

現在は「第一制作部」「第二制作部」「東京制作部」「事業開発部」「制作業務部」の5チーム体制です。以前は小さな班ごとに分かれて動いていたのですが、それでは視野が狭くなりがちでした。今は社内で協力し合える体制を重視し、大きなチーム編成に切り替えています。

東京支社は2011年に立ち上げ、現在は外部スタッフを含め約30名。私は大阪と東京を週の半分ずつ行き来し、両拠点をマネジメントしています。

若手へのアドバイスと成長の場

――若い世代にはどんな言葉をかけていますか?

「とにかくいろいろ経験しなさい」と伝えています。20代のうちに東京や営業を経験するのも良いと思います。東京では、キー局や配信プラットフォーム、芸能事務所、大手制作会社とつながる機会が多く、営業では、クライアントや代理店を通じてお金の流れを学べます。大阪制作に戻ったとき、その経験が広い視野と人脈につながり、より強いプロデューサーになれるはずです。

――実際、若手の活躍も目立ちますよね。

はい。たとえば大阪から東京に転勤した29歳の女性社員がアシスタントプロデューサーを務めています。また本社では、現在入社3年目の社員が、2年目の時に企画した特番が採用され、ディレクターを担当しました。実はその時、私の企画と彼女の企画の2つが最後まで残り、結果的に採用されたのは彼女の案。社内でも「部長(当時)が2年目に負けた」と話題になり(笑)、良い刺激になりました。
さらに、現在2年目社員のCM企画も進行中。こうした成功体験が若手の成長を加速させていると思います。

褒める文化と離職率の低さ

――制作部は離職率が低いとも伺いました。

それは「小さな成功体験をしっかり褒める文化」が根付いてきたからだと思います。たとえばADさんが15秒の予告を作ったときに「よかったね」と声をかける。たとえ小さな仕事でも、認めることを意識しています。私たちが新人だった頃は、褒められることがほとんどありませんでしたが、この10年くらいで大きく変わりました。30代の先輩たちは、特にその意識を持って後輩に接してくれています。

育てたいのは
「プロデューサー」

――今後、どんな人材を増やしたいですか?

演出家や映像職人だけでなく、最終的に「プロデューサー」として全体を見られる人を育てたいです。企画力だけでなく、キャスティングや予算、コンプライアンスの管理、さらには作品をどう配信・海外展開して収益化していくか。作品を継続的にビジネスへとつなげられるプロデューサーを育成し、世界で勝負できるモデルを確立したいと思っています。

――プロデューサーになるまでにはどれくらいかかりますか?

昔はADから始まり、ディレクター、演出を経てようやく…という長い道のりでした。でも今はもっとスピード感が必要です。1〜2年ADを経験したらディレクターやAPを経て、30歳前後でプロデューサーを任せたいと考えています。

制作部のこれから

――最後に、制作部をどんな組織にしていきたいですか?

かつては、MBSの“ハウスプロダクション”として、局の制作を支える役割が多かったのですが、今は番組をまるごと任される機会も増えています。面白い映像を作るだけではなく、放送局レベルの高いプロデュース力を備えた制作部に進化させていきたいと思います。

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